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東京高等裁判所 昭和27年(ネ)632号 判決

控訴人(原告) 雅楽威宣 外三〇名

被控訴人(被告) 東京都教育委員会・東村山町教育委員会・中野区長

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人等の負担とする。

事実

控訴人等代理人は「原判決中控訴人等に関する部分を取り消す。被控訴人東京都教育委員会が控訴人谷口美都を除く各控訴人に対し、それぞれ原判決添付第一目録中該当欄記載の日付を以てなした免職処分及び被控訴人同都中野区長が控訴人谷口美都に対し、昭和二十五年二月十五日付を以てなした解職処分はいずれもこれを取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、各被控訴人(同承継人)の代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の側の事実上の主張は、次のとおり訂正補述する外、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

控訴代理人の主張

一、控訴人末吉信子(66)波田ウタ(67)の両名は、本件退職処分当時教員として東京都北多摩郡東村山町化成小学校に勤務していたのであるが、昭和二十七年十一月一日同町教育委員会が設置され、且つ教育委員会法の規定により学校職員任免その他市町村の教育に関する事務が、都道府県教育委員会より当該市町村の教育委員会に引き継がれることとなつた関係上、同控訴人等に対する免職処分の取消は、東京都教育委員会の承継人たる地位にある東村山町教育委員会に対し訴求する。

二、原判決二枚目表七行目谷口美都の前に遠藤幸一を加える。

三、控訴人井出弘、奈良要及び藤崎良子の関係につき、次のとおりその主張を明確にする。

(一)  右控訴人等三名は真実任意退職の意思なくして「退職願」なる書面(乙第十五、十六、十七号証の各二)を提出したのであつて、このことは右各退職願に添付して割印し、これと不可分の一体をなすものとして表示した紙片(右各号証の三)の記載存することにより明白である。右紙片には「この退職願には左の条件を附します」と記載し、次で「一、この退職願は一方的な辞職勧告により止むなく書かされたものである」とて、それが自己の意思に出た退職願出でないことを明示し、従つて「このような勧告による不当な辞職について今後も大いに斗います」と記載し、控訴人等において退職願を提出しても、その実任意退職の意思なきことを表明している。又このような退職願を提出する動機について、末尾に「一、言動の自由を確保するために一応辞表を書きました」とある。そしてこれ等の意思表示を一体として解釈すると、控訴人等三名の場合、退職願に前記の如き文言が不可分的に添加されることによつて、退職願が最早任意退職を申出でる意思表示としての本来の意味内容を欠除することに帰着する。従つて右の退職願を通常の退職願と同視し、これと同一の法的効果を附与すべきでないことは明白である。

(二)  仮りに一歩を譲り、右退職願の提出が退職申出の表示行為と見られるとしても、控訴人等は真実退職の効果を意欲することなくしてその書面を作成し提出したのであるから、いわゆる心裡留保に外ならず、しかも控訴人等の真意は都教育庁の意を承けて退職勧告に当つた学校長において当然これを知り、又は知りうべかりし状況にあつたのである(その知りうべかりしや否やは客観的に観察して判定すべきであり、本件退職願に添付した紙片に前記の如き文言の記載されてあること自体に徴し、民法第九十三条但書の適用があると解すべきである。)。

被控訴代理人の主張

一、原判決の摘示した被控訴人(被告)の主張事実中、二項の「よつてその処分を争うものは直接裁判所に取消訴訟を提起する外はないものである」との部分を削り、三項(二)中「昭和二十五年二月八日」とあるのを「昭和二十五年二月十三日」と訂正し、同所の「これに応じ退職願を提出した者に対しては同月十五日付で退職処分をなし、勧告に対する諾否を決定すべき日(通常右十五日)から五日以内に退職を申出でた者については」とあるのを「これに応じ退職願を提出した者に対しては同月十五日付で退職処分をなし、右十五日までに退職願を出さないか、或は勧告を拒否し、又は何等返答しない者に対しては、十五日付で休職処分をなし、その後右十五日を五日間即ち二十日まで延期し、それまでに退職を申出でた者については」と改める。

二、控訴人井出弘、奈良要、藤崎良子の主張は否認する。

(一)  同控訴人等が退職願にその主張の文書を添付して提出したからとて、これによりその退職願が退職申出の意思表示たる効力を有すべきことに変りない。即ち右退職願なる書面は何人が見ても退職したいという趣旨を明示したものであることは、疑を挾む余地はなく、添付書面の記載事項がそれ自体条件又は期限に該らないことは勿論であつて、且つそれが退職願出の趣旨を直ちに制限し、又は何等か制限的に解釈さるべきものとして附加されたものでないことも、両者を比較検討すれば明白である。事実本件退職処分をなすに先立ち、被控訴人東京都教育委員会において予め「公立学校教職員刷新基準要綱」を定め、厳密に調査した上で控訴人井出、奈良、藤崎等がこれに該当するものと認め、同人等の勤務する新宿区立四谷第四小学校四谷幼稚園の校長兼園長井上精一に指示して直接本人等に対して退職を求めしめた。その際退職勧告に対しては、絶対に無条件で承諾するか、又はこれを拒否するかにつき、本人等の完全な自由選択にまかせ、いやしくも詐欺又は強迫を以て被勧告者の自由意思を侵害し、抑圧したりするようなことは絶対にあり得なかつたし、同時に条件や期限その他何等かの附款を付けての退職願など一切受取るべき筋合でなかつたのである。控訴人等の主張するように前記添付書面の第一項に「この退職願は一方的な辞職勧告によりやむなく書かされたものである」と記載してあるけれども、その意味は、退職願を書くには書いたが、これは双方の協定による退職ではなく、任命権者からの一方的な辞職勧告であつて、自分としては進んで退職を希望していなかつたが、四囲の事情からして希望しないのにこれを書くに至つたのであるということ、換言すれば控訴人等がこの退職願を書くに至つた過程における不満とか退職の意思を決定するに至つた縁由を述べているにすぎないのである。又その第二項に「私は勧告の内容について断じて承認していません。従つてこのような勧告による不当な辞職については今後も大いに斗います」とあるのは、単に退職勧告の理由となつた事実の内容に対しては、断じて承認ができない旨を述べ、今後と雖もかような事由は決して承認しないという趣旨を表わしたものである。従つてこの記載があるからといつて、退職願の効力を阻却することにはならず、退職願は依然退職願として有効に存在している。更に同第三項には「言動の自由を確保するために一応辞表を書きました」とあつて、若し控訴人等が真に退職の意思なく、退職勧告を拒否して斗わんとするのであれば、むしろ「辞表は書かない」とあるべき筈のところ、「言動の自由を確保するために」敢て辞表を書いたというのであるから、これは控訴人等が十分な計画と自由意思の下に兎も角も有効な辞表を書いたことを示している。

(二)  仮りに控訴人等の主張する如くその退職申出が退職の意思なくしてなされた心裡留保にかゝるものとしても、控訴人等に対し退職を勧告した井上校長(園長)は、その勧告に応じて提出された本件各退職願が何れも控訴人等の真意の表示であると確信しており、又当時の客観的状況からしてかく信ずるのが当然であつて、これが控訴人等の心裡留保に基くものであるなどとは全く察知しうべきものではなかつた。それのみでなく控訴人等は各退職願提出の翌日何等の異議故障なくして、井上校長より平穏に退職辞令を受取り、その後も更に退職の有効なることを前提とする退職金の支給を受けている。これ等の事実に徴すれば、仮りに退職願が心裡留保により無効であつたとしても、控訴人等において爾後これを追認(民法第一一九条但書)したものというべきである。

(証拠省略)

理由

当裁判所は、本件につき更に審究を遂げ、控訴人等が原審で提出並に援用した一切の証拠に新に当審において追加した各証拠資料をも加え、精細にこれを検討したのであるが、次に附加する以外は、結局原判決の説示したところと同一の理由に基き、控訴人等が本件各免職並に解職処分を違法なりと主張する事由はこれを是認するに由なく、本訴請求はいずれも排斥するの外なきものと判定した。この認定に牴触する趣旨の証拠は採用し難い。よつてここに原判決理由を引用する。

控訴人井出弘、奈良要、藤崎良子等の関係につき按ずるに、控訴人井出、奈良の両名は新宿区立四谷第四小学校に、控訴人藤崎は同区立幼稚園に各教諭として勤務中、昭和二十五年二月十三日被控訴人東京都教育委員会の旨を承けた同校長兼園長井上精一より退職勧告を受け、結局同月十五日付で同委員会に宛てて乙第十五ないし第十七号証の各二、三の退職願の書類を提出したのであるが、その各二には退職願と題し、「私儀このたび一身上の都合により退職いたしたいので御許可下さるよう御願いいたします」との文詞並に各控訴人の署名捺印があり、これに添付した各三には「この退職願には左の条件を附します一、この退職願は一方的な辞職勧告によりやむなく書かされたものである一、私は勧告の内容について断じて承認していません従つてこのような勧告による不当な辞職について今後も大いに斗います一、言動の自由を確保するために一応辞表を書きました」と記載され、右各二と各三とは綴り合され、紙葉の間にそれぞれ各自の印を以て契印してあることが認められる。

右控訴人等は、(一)前記の如き「退職の条件」に関する紙片が不可分的に添付された退職願は、も早退職願出の意思表示たる効果を有しない、(二)然らずとするも、右退職願の提出は控訴人等の真意に反してなされた心裡留保に該当し、受領者たる井上校長(園長)において充分その真意を諒知し若しくは諒知しうべかりし状況にあつたのであるから、無効であると主張する。

しかしながら、成立に争のない乙第四十五ないし第四十九号証の各一、二及び原審並びに当審証人井上精一、当審証人相沢節の各証言によれば、右退職願の提出後、これに対応して被控訴人東京都教育委員会より控訴人等に対する退職辞令を発し、これが井上校長(園長)の手を経て控訴人等に伝達されたところ、右控訴人等はいずれも何等の異議を述べることなくしてこれを受領し、更にその性質上退職の効果発生を前提としてのみ支給さるべき退職金をも異議なく受領していることが明かである。そしてこの事実と右各証言とを綜合すれば、控訴人等は井上校長(園長)より被控訴人東京都教育委員会の定めた「公立学校教職員刷新基準要綱」に該当するものとして退職の勧告を受け、一旦はこれを拒絶せんとしたものの、右勧告に応じなければ休職処分に付せらるべきことを告げられた結果、当局が退職勧告の理由とするところは承認し難く、退職願の提出は不本意ではあつたが、利害を衡量の上、控訴人三名とも結局勧告を容れて任意退職することを決意し、前記退職願を提出するに至つたものであること、而してその退職願は一様に、自己一身の都合に基き退職を願出る旨予め一定の書式が用意されこれに調印を求められたので、控訴人等としては退職願を提出するとしても、当局に対し各自の都合により進んで退職を希望するのではなく、一方的な勧告に応じ止むなく退職願を提出するのであつて、その勧告の理由は到底承服し難く当局の措置に対しては一旦教員たる身分を離れ自由な立場に立ち言動の自由を確保した上で、これと抗争する意思である旨を表明せんがために、退職願に敢て前記の如き事項を記載した書面を添付したものであることが窺われる。それ故、右添付書面は原審認定の如く、控訴人等が退職願を提出するに至つた経過並びに当局の措置に対する不満の念を表示したものにすぎず、退職の条件と題してあつても退職願の効力の発生を左右せんとする趣旨のものでなく、これにより右退職願の提出が退職願出の意思表示としての効力を有することを妨げられるものではないと解すべきである。又このように控訴人等において諸般の事情を考慮の上、休職処分に付せられるよりも寧ろ勧告に応じて任意退職し退職金を受領することを利益としてその途を択んだものと見られる以上、全然退職の意思なきに拘らず真意に反して退職願を提出したものといい得ないことも明かである。若し控訴人等にしてその主張の如く退職の意思なくして退職願を提出したものであるとすれば、その後退職辞令並に退職金の受領を求められても拒否すべきが当然であつて、何等の異議なくこれを受領するが如きことは、到底あり得ないものといわなければならない。原審並に当審における当事者本人尋問の際の控訴人井出弘、奈良要、藤崎良子等の供述中、以上の認定に牴触する旨の供述部分はいずれも採用することができない。仮りに控訴人等が真意に反して退職願を提出したものとしても、本件退職願に前記の如き書面の添付されてあることだけからして被控訴人東京都教育委員会若しくは井上校長(園長)においてその真意を知り又は知りうべかりし状況にあつたものと断定することはできないし、その他控訴人等の挙げる証拠によつては未だ右事実を認めるに足りない。結局右控訴人等の主張は凡て理由がない。

然らば同一趣旨により控訴人等の本訴請求を排斥した原判決は相当であつて、控訴は理由なきにつきこれを棄却すべきものとし、民事訴訟法第八十九条第九十五条に則り、主文のとおり判決する。

(裁判官 薄根正男 奥野利一 古原勇雄)

(目録省略)

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